徒然日記

日々の雑記です

重症性筋無力症ついて

物々しいタイトルであるが、

私が罹患している重症性筋無力症について書いていきたいと思う。

 

■発症

それは6~7年前くらいだったと思う。

突然まぶしさを感じた。
屋外では目を開けていられないようになった。

それから右の瞼が下がってきた。やがてほとんど開かなくなった。
それが日々出てきた。

寝起きは何ともないが徐々時間がたつにつれてこのような症状が出てくるのだ。

当時は何が起きているのかわからなかった。

 

■病状判明まで

まず病院に行こうとするが何科に行けばいいかわからない…
病院に電話で聞こうにも症状を説明するのが難しいのだ。

現在はこうして冷静に分析できているが、

当時は多分電話しても説明ができなかったと思う。

今までこんな症状も聞いたことがなかった。

とりあえず考えたのは、脳に異常がないかを確認しようと

会社近くの脳神経外科を受診した。

診断で説明するも原因はわからないようだった。

MRIをとるが不明。

県病院の神経内科に紹介状を書いてもらう。

 

後日県病院に行き以下の検査を行ったと思う。

血液検査、MRI、筋電図等

血液検査は抗体があるかどうかを検査するよう。

ある種の抗体があると重症性筋無力症らしい。

この中でも特筆すべきは筋電図の検査。

検査の前に検査担当者からそうと追う痛いですよと脅された。

内容はスタンガンのようなものを首に押し付けられて

電気を流され、筋肉の反応速度見るというもので

痛い痛い。もう二度とやりたくないですね。

 

■指定難病

重症性筋無力症は指定難病に指定されており2018年時点で

患者数は29,210人、人口10万人あたりの 有病率 は23.1人らしい。

脳からの信号が筋肉に伝わり動くが、抗アセチルコリン受容体抗体という抗体が

邪魔をして筋力の低下を起こす。

しかし、なぜこのような自己抗体が患者体内で作られてるのかは、

いまだによくわかっておらす、必然的に根本治療は難しく、

薬による対処治療しかないらしい。

つまり一生薬を飲み続けるしかないってこと。


なお遺伝はしないらしい。

 

■症状

症状は筋力低下と 易疲労性 がこの疾患の症状。

この二つの症状は、骨格筋であればどこにでもあらわれるが、

特に眼瞼下垂、 複視 などの眼の症状がおこりやすいことが特徴。

症状が悪化すると、呼吸筋麻痺により呼吸ができなくなることもあるらしい。

 

私は眼瞼下垂のみが最初は出ていたが、薬を飲んでいれば

症状は出ないが、薬が切れてくるとめまいがする。

最近になって、車の運転をずっとしていると複視が出てきて物が2重に見える。

長時間の運転ができなくなった。

こんな感じで見えるようになる。

 

 

腕時計について2

前回のブログで書いたように、しばらくは毎日のように

クロノスイスの腕時計をつけていた。

 

キャバクラに行ったときは変わった時計つけてるねと

言われることもあった。

そういう人たちは腕時計とかしっかり見てるんだね。

 

そのうち高額な時計を気を使いながらつけ続けるのに

疲れてきたのか、”ああ特別な日だけつけよう”となっていった。

 

その後は、適当なクオーツ時計や、G-shockチュードルのパチモンを購入し、

使用していた。

特にG-shockはソーラー電波時計ということもあり

海外出張の際には時間合わせもいらないし、電池交換もいらないなど

何かと便利だったのもある。

あと、なくしたり、盗難にあってもそこまで被害が大きくないというのもあった。

 

しばらくはそんな感じで過ごしていったが

時計雑誌やネットでは相も変わらず情報収集していた。

そのうちに気になる時計が出てきた。

それが”アラン・シルベスタイン”だ

”アラン・シルベスタイン”フランスの時計デザイナー兼

同氏が起こしたブランドだ。

 

当初は赤、青、黄の三原色を使用したその奇抜な色使いや

デザインなど単に奇をてらった腕時計だと思っていた。

だが何度も見るうちにだんだんと気になっていた。

時計を見ているよりもおもちゃ箱の中を見ているような気になるのだ。

そのころには1本ほしいなと思うようになってきた。

 

”アラン・シルベスタイン”の腕時計は同じモデルを上限なく作るような

マスプロダクションではない。

モデルごとに製造本数が決められている限定だ。

入手はラウンド型のクロノグラフと決めていた。

新品であれば3桁はする高額だ。

いい中古がないかずっと探し続けていた。

 

ある日、国内正規代理店のギャランティがついた中古が出てきた。

だが、ラウンドではなくスクエアの物…

どうしようかさんざん悩んだが

この先手に入る可能性は低いという思いもあり

購入することにした。

届いてからは着用することはほとんどなく

眺めながらニヤニヤしている。

 

 

今、ふと思うのはロレックスでも購入しておけば

買った価格の2倍くらいにはなったのかな?

でも実用時計をみてニヤニヤはしないと思う。

時計好きの変態コレクターとしては

自分のセレクトは満足してる。

 

多分もう機械式腕時計は増やさないかな…

 

 

 

腕時計について1

カテゴリーがガジェットということで腕時計が入るかどうかわらないけど

とりあえず年代別に思いだしながら書いていこう。

 

■小学生

当然腕時計などしておらず、そこらじゅうを走り回っていた

アスペ気味の小学生だった。特に時計にも興味がなかった、

壁掛け時計も時間を知るだけの道具。

 

■中学生~高校生

親が腕時計を買ってくれるということでSEIKOのパンフレットを持ってきた。

その中で選んだのが多分下のヤツ(ネットから引っ張ってきた)

ムーンフェイズを初めて見てなんだこりゃということで選んだと思う。

結構高価だったがぐずって買ってもらった。

新聞の月齢表と腕時計のムーンフェイズを見比べてなるほどと言いながら

何もわかっていないバカ。

まあ、今でもムーンフェイスの使い方とかわかっていないが。

キラキラしたものを集めるカラスみたいな感覚で選んだんだろう。

でも自分だ選んだので気に入っていたし、愛着もあった。

■大学時代

大学の時はどんな腕時計をしていたのか一切記憶がない。

文系経営学部のクズで授業内容も覚えていないので

まあそんなものだろう。

バイクに乗っていたので腕時計をしていなかったのかもしれない。

時間に追われることもなかったし…

もしかしたらG-shockとかしていたのかもしれない。

 

■会社員時代

入社当初の何の腕時計をしていたか記憶がない。

まさかG-shockはしてないと思うが。

ただ入社当初G-shockが流行りだしてイルカクジラモデルとかはつけていた気がする。

 

転機はしばらくして訪れた…

父親が腕時計を買ってきた。

ジラールペルゴ リシュビル クロノグラフだ。

クロノグラフのプッシュボタンが丸かったので

多分手巻きだったと思う。

初の機械式時計だ。

ケースも文字盤もキラキラしていた。

カラスの心がよみがえってきた。

自分も欲しいと!

機械式時計の沼の始まりである…

 

”世界の腕時計”という雑誌を見続ける日々が始まった。

具体的にはどのメーカーの腕時計は決まっていなかった。

ただクロノグラフが欲しいとは決まっていた。

雑誌のある号でバーゼルの時計見本市の特集があった。

メーカー別に展示している腕時計を紹介していたが

あるメーカーが目にとまった。

”クロノスイス”というメーカーだ。

今まで聞いたことはないが、少しクラッシックな容姿が気になった。

メインで紹介されていたのはTORAというモデルだが

レギュレーターでクロノグラフではなかった。

 

しかしサブで小さな画像で紹介されていたのが

クロノグラフだった。

しかもただのクロノグラフではなくドッペルクロノである。

いわゆるスプリットタイムが計れるヤツだ。

”クロノスイス ラトラパンテ”この写真を何日も何日も見続ける日々が続いた。

 

さんざん悩んだ挙句購入しようとしたが問題は購入先。

バーゼル発表直後のモデルのため

価格も明確に決まってなかったと思う。

正規代理店も地元になかったはずなので

雑誌の時計店にて相談をした。

その結果並行輸入にて購入することにした。

 

購入後実物を見たが、ほぼ予想通り。

しばらくずっとつけてたな。



 

 

長くなったので続きは次のブログで…

 

 

断酒について

先日”何かしないといけない”と書いたが、

最近始めた断酒について書きたいと思う。

 

■初めに

2022年3月8日(火)から断酒を開始した。

このブログを書いている時点でちょうど50日たったことになる。

現在ではあまりお酒を飲みたいと思うことはなくなってきた。

まあ、ちょっと思うことはあるがそこまでではなくなった。

多分にノンアルコールでごまかしていることもあると思うが…

 

■思い起こせば

公に言えることではないが、お酒を飲み始めたのは〇学生のころである。

修学旅行でもコーラにウイスキーを混ぜて飲んでいた。まあ少量であるが。

そのせいで身長があまり伸びなかったのかもしれない…

当初はお酒は興味を満たす手段であった。

仕事を始めてからはストレスを紛らわす手段となった。

それがいつの間にかお酒を飲むこと自体が目的となっていった。

仕事が休みの日はいかに早く飲み始めるか理由を探すようになった。

朝から飲みたいという欲求も出始めていた。

頭の隅ではいつまでもこのままではいけないと思ってはいたが

ずるずると続いていった。

最終的には1日2リットルから3リットルのチューハイを飲んでいた…

休肝日はない。

当然体調にも変化があった。血液検査の結果、脂肪肝、糖尿病…

薬を服用するだけで根本治療には目をつむっていた。

 

■お酒をやめる方法

ある日突然夜眠れなくなった。断酒を始める前の日、2022年3月7日の夜のことだ。

お酒を飲んでいるのに目がさえて全然眠れないのである。

結局朝までほとんど眠ることができなかった。

ついに来る時が来たのかなと思った。

翌日お酒をやめることを決意した。

ただ意志の弱い自分である。

自分でやめると決めても欲求に負けて

お酒を飲み始めるのは目に見えていた。

禁酒ではなくて断酒をすることにした。

迷惑千万であるが、自分だけではなく周りを巻き込むことにした。

まず、家族にお酒をやめると宣言した。

次にTwitterでも宣言しし、断酒した日数もつぶやいた。

最後に職場でも宣言した。

四面楚歌である環境を作り出した。

やめたら全員から罵詈雑言だ。

マゾなら喜ぶところであるが、私はサド寄りである。

そこまでしないとお酒をやめることはできないと思った。

ていうか絶対にやめれない…

 

離脱症状について

お酒をやめたのはいいが禁断症状、今は離脱症状というんですかね?

が思い切り出た。

過去も一時期お酒を飲まないことはあったが

ここまでの症状はなかった。

お酒は薬物であることを改めて実感した。

まずイライラする。とにかくイライラする。

2日目がピークだった。

次に夜寝れない。いや笑えるくらい全然寝れない。

2日目から5日目まで寝れない日が続いた。

眠れなくなって断酒したのに何で寝れないのと

恨み節をつぶやく日が続いた。

あととにかく寝汗がひどい。パジャマがぐっしょりになるくらい寝汗をかいた。

病院で睡眠導入剤をもらうも効果がなかった…

 

改善がみられてきたのが6日~7日目

とりあえずお酒を飲みたい欲求が薄れてきた。

睡眠の質が改善してきたのがもう少し後

睡眠が深くなったのか夢をほとんど見なくなった。

お酒を飲んでいた時は変な夢ばっかり見て

目が覚めても疲れていることが多かった気がする。

今はすっきり目覚める感じがする。

 

振り返ってみればお酒はダウナーなので

神経の働きを沈静化する薬物。

お酒をやめればアッパーになり神経が活性化し

寝れなくなって、多量に寝汗を書いていたと思われる。

他の人も言っているように離脱するには

1種間程度必要と思われる。

脳がお酒を忘れるのにそれくらいかかるのだろう。

まあ、依存の度合にもよると思うが…

もう少し有用なことを覚えておけばいいのに

 

■今後について

とりあえず断酒は続けるつもり。

まあ、周りに宣言しているし…

一生に飲めるお酒の量は決まっていると言われているように

私にはそれが来たのだろうと思いこむようにしよう…

 

お酒をやめてからはとにかく時間が余った

特に休日はすることに困るくらい。

まあ、このブログを書いたり

他にもやることを見つけないとと思う。

 

最近思っていること

2022年に55歳を迎える

今の状況が続くのなら60歳で定年となる

退職するのか?継続雇用してもらうのか?

そろそろ決めておく必要がある

まあ、金銭的には再雇用だろうが…

 

最近は時間がたつのが遅く感じる

仕事をしていても1日が長い

昔はあっという間に1日が終わった気がするのに

変化がないせいだろうか?

何かしないといけないのかもしれない…